| 郁の会創刊号より |
・・・・・ 「郁の会」会報創刊号に寄せて 三輪 郁・・・・・・・・・
毎日毎日、来る日もまたその次の日も、なにか降らなきゃ気が済まない、というお天気の続くウィーンからの初お便りです。会員になって下さった皆様、如何お過ごしでしょうか?イヤなインフルエンザがまた猛威を振るっている様子は度々耳にします。病は気から、というのは本当で、私もできるだけ元気に、ストレスをため込まない様よく遊び、食べ、そしてよく眠っています。冬のウィーンをご存知の方も沢山いらっしゃると存じますが、今の様なお天気の続くここは、まるでゆりかごのよう。いくらでも眠ってしまえるから恐ろしいです!…と、ここで「え〜っ、練習は〜?!」と心配して下さる方のために一言。勿論、いい音楽にもできるだけ触れる機会は作るようにしています。皆様も是非、ストレスを上手に発散させて、待ち焦がれる春を元気にお迎え下さいね。
さて、私がこうして、まるで自分の生まれたところで当たり前に冬を迎え、春を迎える様に、ここウィーンで四季のうつろいを見つめる様になって、随分沢山の年月が過ぎました。その間には、月並みだけれど沢山の出会い、別れ、嬉しかった事、悲しかった事、悔しかった事や、忘れられない素晴らしい思い出等を心のひきだしにおさめる事ができたと思います。例えば初めて教会に入った時に、たまたま練習中だったパイプオルガンとトランペットの音色を聴いたとき、ゴージャスな、でも親しみをおぼえるホールでのモーツアルトを聴いた時。そして私自信が、一生懸命胸を張った舞台。友人との意見の交換や、室内楽の体験。幸福な、大音楽家との共演。その裏側にある、自分に対する悔し涙…。(一つ一つお話すると、紙面がいくらあっても足りないので、追々皆さんと一緒に作っていくコンサートの中でお話させて頂くとして)それらが全てで私、「三輪 郁」を作っているのだなあとつくづく思います。多分、とっても幸せな、そしておめでたい人なのでしょう。
でも!落ち込むし、怠けるし、もがいて苦しいのも常です。そんな自分の心のひきだしから、今までに集まったいろいろな思いや、色や、それに匂い、温度。それらを、音という私なりの一番身近な言葉でお伝えしたい。それが私の音楽の原点です。ただ、私が自分勝手に喋ってたのでは皆様にもきっと伝わらないでしょう。だから、今までの本当に恵まれた環境や、素晴らしい恩師との出会いと教えや、ウィーンという所で培った音楽との触れ合いや、言葉の本来持っているリズム感覚等を自分の根っこにして大切にしながら、作曲家の残してくれた素晴らしい言葉を遣って、私の言葉でお伝えしていければ、と思っています。そして、それを「郁の会」の皆さんに見守って頂けて、もし何かを一緒に感じて頂く事ができれば、私の中の「幸せ」というひきだしが、いまから「いっぱい」の予感です。
1999年2月27日ウィーンにて
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| 郁の会会報2号より |
郁さんからの手紙
なんと、久しぶりにウイーンに戻ってみたら夏が終わっていました。あの寝苦しい日本の夜はいったい何だったのでしょうか・・。皆さん、お久しぶりです。会報第2弾です。
8月18日まで、結局日本の我が家で過ごし、忙しかった夏とも別れて、いざ再びおこもりの時期にはいりました。10月には、私も心待ちにしているラデク・バボラクとの共演、そして恐怖のショパンのコンチェルトと、まだまだ息のつけない秋も、もうすぐそこです。皆さんとお目にかかれない1ヶ月半の間、いかに「遊びたい!」と戦うかが運命の分かれ道というところでしょうか。
さて、会報創刊号が出て半年、「郁の会」もお蔭様でだいぶ大きくなってまいりました。皆さんとお会いしたり、生の声をお聞かせ頂けた「第1回サロンコンサート」も沢山の方々と新しい出会いを含め、私にとって楽しい一時となりました事、スタッフの皆さん、そしてお越しくださった皆様に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
どうも、最近のコンサートの折に撮って頂いた写真を見ると、マイクを持っている写真が多い・・!やっぱり相変わらず「おしゃべりなピアニスト」である様です。お話が専門ではないので、お聞き苦しい事もあるかと思いますが、きっと来年にはまたやってしまうことでしょう・・あしからず!
このサロンコンサートはじめ、この半年の間にあったコンサート、どれも思い出深いものとなりました。偶然にも同じ夏に2度も弾く機会を与えて頂いた「動物の謝肉祭」。これは楽しかった!オーケストラとの共演、これはもう、私にとっては永遠の最高の楽しみです。室内楽も同じで6月の目玉でした「月に憑かれたピエロ」、素敵な仲間に恵まれ、素晴らしいマエストロの本名徹次さん、ダンサーの岡千絵さんの魅力が光った催し物でした。初めは訳もわからず、譜読みも大変でギャオー!って感じでしたが、久々の妹の愛との共演も含め、思い出に残る大切な一夜になりました。
また、3人3様の個性を聴かせてくれた椙山久美さん、神代修さん、そして山本真由美さん、共演者に恵まれることは音楽家にとって、本当に幸せな事であり、また大切な事でもあります。お互いのない部分を補いあうのではなく、新しく自分の中に取り込んでゆく「未知の世界」を広げる手助けをしあう大切なパートナーだからです。人と会って話しをする「時」が、とても好きな私は、音で相手と会話できる「共演」ということも、ことのほか好きなのかもしれません。彼らとまた次に出会い、一緒に音楽するまでには、さまざまな経験をして、それが音に出るかと思うと、恥ずかしい反面、とても楽しみでもあります。
さあ、IKUの今年の下半期はどんなことが待ち受けているのでしょうか・・。まずは8月末バボラク氏に会いに、私のヨーロッパ生活の原点であるザルツブルグに行ってきます!
1999年 8月25日 ウィーンにて
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| 郁の会会報3号より |
芸の肥やし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三輪 郁
2000年、ミレニアムは家族と共にウィーンで迎えました。
暮近い12月のある日に、両親が60キロ近い荷物(うち3分の2は食糧!)を運んでやって来ました。母のご馳走、新年のおせちもさることながら14年間ウィーンに暮らしていてもご縁のなかった豪華なレストラン…という感動の日々。大晦日にシュテファン寺院まで耳セン(所かまわず鳴る爆竹対策)をして歩き、記念すべきその瞬間に抜いて飲んだシャンパン。加えておいしかったのは、年末のオペラ、オペラ、オペラ!R・シュトラウスの「影のない女」、大晦日の「こうもり」そして元旦の「メリー・ウィドウ」。特別な年末年始に出演者も熱が入ります。人の声って心と直結してる。どうして涙が出るのかなあ。こんなところで…というところで泣かされる。声のもつ魔力が体に染み込んだ日々でした。あれ、前に見たときと動きが違う?その場のイキなアドリブも沢山入り、沢山笑いました。皆様はどんな風にミレニアムをお迎えでしたか
素敵な瞬間、といえば皆様のお陰で感じることの出来た最高の瞬間の話を。昨年10月、ホルンのラデク・バボラクとの共演の時のことです。もう、難しい曲ばかりで頭がパニックになっていると思っていたのに、2つの物(者)が1つになるのを身をもって感じられた時、800名のお客様の存在も、彼(バボラク氏)の存在もそして私のそれも消えて、音楽だけがあった、という瞬間を見つけました。これは、演奏会の数が多くても沢山得られる経験ではないのです。これは、アーティストとお客様との間で作られた不思議な空間で、弾く側には、ポジティヴなとても大きなパワーを与えてくれます。(弾けないはずのパッセージが弾けることも!)
このパワーが即ち、演奏家を見守り育てていってくれるのだなあと感じるのです。多分、音楽の世界だけの話ではないでしょう。何にでも通ずるものがある様な気がします。
ここで思い出すのがウィーンの演奏会です。そのお客様からもらうパワーの魔力をよく感じるのです。決して息を殺しておとなしく礼儀正しくきいているということではなくて。自然体ということでしょうか。それは彼らの国民性にそのまま現われているかもしれません。陽射しの強くなる午後、音のないカフェにひとりで座り、思いのまま時を過ごす。新聞読んだり、勉強したり、友人と会ったり…。おじいさんおばあさんだってカードをしたり、静かにワイン楽しんだり。小話が好きだったり、言葉(ウィーンなまり)の持つやわらかさを会話の中で楽しんだりと、いろいろ興味を持ち、味わえる。その感覚のまま、演奏会にも行くのでしょうね。自然体が一番。ですね。
春です。目黒の我が家のベランダに「ピーちゃん」がやってきます。
ムクドリ、メジロ、オナガ…。とうとう最近はウグイスまで姿を見せてくれるようになりました。りんごにみかん、挙句の果てにはバナナにおにぎりまで、かなり和風トロピカルなメニューは、要するにいかにピーちゃんが柔軟性のある(?)味覚を持っているかがわかります。何でもおいしそうに食べるピーちゃん達を見ていると、こちらまで幸せになってきます。お陰で大変なおデブさんになったムクドリを見て祖母がひと言。「あら、ハトが来るの?」
いやぁ、日本は食事が素晴らしい!今さらながら誰もが食道楽になる程豊かな食材には驚きます。料理をまず見て楽しみ、触れて楽しみ、味わって楽しむ。食感から耳に響く音まで楽しめる。全くこれも芸の肥やしです。勿論体も、心と同じ位豊かになってしまいますが。
ウィーンはウィーンで郷土料理の他にもご近所の国のおいしいものが沢山堪能できます。珍しいところではトルコにギリシャ、スロヴェニア等。ハンガリーやイタリアはいうまでもなく、ピザなどはとてつもなく大きく、でも薄いのでペロッと軽くいけてしまう。愛(妹)と赤ワインがてら軽〜く、なんて日も少なくありません。 ピーちゃんにはりんごがどんな味なのか、私にはわかりませんが、私もりんごは大好き。ピーちゃんと好きなものを共有出来る、なんてことがなんとなく幸せと感じる今日この頃です。
“春来るか 郁の頭に ピーちゃんが” おそまつ。
2000.3.1 目黒にて |
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| 郁の会会報4号より |
郁さんからのメッセージ
毎年待望の夏休み、今年はウルサイを通り越して、気が遠くなる程暑かったのはなにも日本だけではなく、ウィーンも同じ。地球ったらいったいどうしたのでしょう。ウィーンで今年、なんと初めてトカゲらしきものを見ました。湿気も暑さも、ちょっと普通ではなかったという事のしるしでしょうか。(東京の我が家のベランダには、今ヤッちゃん、モリちゃんという夫婦のヤモリがいて、この9月中旬、ウィーンから戻って来たら、なんと彼らの子供が迎えてくれました。名前、募集中です。)今年はおこもり集中練習の予定で、7月から、約2ヶ月をウィーンで過ごしましたが、14年前の夏に留学して以来、これまた初めて、寝苦しくて眠れない夜を、5夜程経験しました。地球の温暖化(祖母いわく、「お空が壊れている!」が進み、ウィーンにも冷房の設備が欠かせなくなるかもしれませんね。
夏と言えば、例えばそうめん、モッツァレラチーズとトマト、冷麺、ガスパッチョ(冷たい野菜スープ)、そして辛ラーメン等、人各々これしか受けつけない、というものがあるのでは?私達三輪姉妹のメニューとしては、専らビールかガス入り水にサラダ。そして、発泡性ワイン。また、期間限定で今しか飲めないワインの途中(?)の、アルコール入りジュース状態のモスト とシュトルム!これで気持よくなって街に出れば、ボンジョルノ!と声をかけてくる、ホンモノのイタリア人のやっているアイスクリーム屋さん!というわけでツルツル、ポタポタ、タッポンタッポンで次回皆様の前にお目見えした時には、腕がタモトの様になっているかも知れません。
さて、すっかり素敵に夏休みを過ごした訳ですが、この夏のヒットは何と言ってもインスブルックに行ったことでしょう。(お天気にも恵まれ、すっかりコゲてしまい、これまたピアニストらしからぬ状態であります。)14年もいて、一度も行った事のなかったこの町は、それはそれは空が高く、空気の美味しい小さな町でした。そのインスブルックに行って、発見した事。ここは山も高く(オリンピックやるくらいですからね!)緑というより自然が青く見えました。ウィーンのそばの南の丘にワイン畑があり、そこらを散策すると自然とベートーヴェンやマーラーの交響曲やシューベルトの曲が頭の中に鳴ったり、思わず口ずさんでいるのに対し、ここインスブルックの山ではシューベルトはちっとも浮かばない!と思ったら、モーツァルトがそれは愛らしく、また時には神々しく私の耳に鳴り響きました。オーストリアとして、十把ひとからげにはやはり出来ないものですね。各々の作曲家の生きた背景、見てきた感があります。その光景を思い浮かべながら舞台を作れる。これは貴重な体験です。逆に、聴いて頂く皆さんにもその空気を感じ取って頂ければ嬉しい限りです。
ところで、今回帰ってくる前に、2人の方々と面白いお話をする機会に恵まれました。お一人は『郁の会』会員さんで、数学の先生をなさっている方。一般に数学と音楽は良く似ていると言われますが、私にはサッパリ判っていませんでした、なぜだかが。それが、少しだけ解った様なのです。要するに、とっても抽象的なものを追っかけている、という事。これが共通点らしいのです。これは、その次にお会いした、宇宙科学を専門にやっていらっしゃる方とお話した時に、もっと発展しました。広大な宇宙。とてもアバウトでとても緻密。乱暴な言い方をすれば、本当に近いものがありますね。
もうお一方。今年の出会いのヒットがありました。落語の春風亭小朝師匠です。2月の、愛知でモーツァルトの協奏曲を弾いた際、司会者としてコンサートの進行をして下さったのですが、この時にはもう、数学、宇宙どころじゃない、食事にも、はたまた落語にも、音楽との共通項があるという事を、舞台の上での対談、また、師匠著の本から教わりました。もともとある素材を、いかに料理するか、いかに極めるか、という事でしょうか。そして、そこからまたいかに発展させていくか、という事でしょうか。また共演出来る日を夢見ています。
そして、あれよあれよという間に恐怖の秋が来た!秋のスタートは、本名徹次氏指揮の初の札幌交響楽団との共演で、モーツァルト協奏曲第9番でした。本名マエストロのお陰で、まるでそこはヨーロッパ、という(気候もかなり助けてくれましたが?!)空気、演奏空間を生み出す事が出来、我ながら久々に二重マルでした。気持ちよかった〜!紙面上にて失礼。『マエストロ、Danke!』
秋といえば、いつも書く様にウィーンの空気に色がつきはじめます。赤紫から青紫へ。そして、透明になっていきます。実はこれ、今の私の顔色の様です!11月リサイタル、皆様にソロをお聴き頂くのは、2年近くぶりとなりました。20世紀最後のリサイタルは結局私の大好きな作曲家、興味のある人たちの羅列になってしまいました。悪しからず! 11月15日、一人でも多くの方に聴いて頂けたら幸いです。
15日にお会いしましょう!
目黒にて 2000年9月30日
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| 郁の会会報5号より |
郁さんからの手紙
明けましておめでとうございます
・・・なんて、寝ぼけたことを言っていたい私ですが、今世紀も早速、元気に始まっております。ちょっと前までは、21世紀という頃には、人々はリニアモーターカーで通勤し、宇宙人と一緒に歓談し、火星に別荘を持ち、“北海道、流氷を見るツアー”のごとく、“流れ星、天の川・・・織り姫、彦星に逢いにゆこう!”なるツアーが出来ていることだろうと思っていました。あまり変わっていないホッと感と、もうちょっと変わってても面白いのに・・・と無理を承知で夢見る気持ちと、両方複雑なまま新年を迎えました。とはいえ、“IT革命”なる、私にはおよそ何のこと?!という言葉のもと、何かを起こそうとしているのは事実。皆さんは、この状況、どのように感じ、捉えていらっしゃいますか?(ついてゆけない私としては、ひたすら「生きてゆくことがムズカシクなりそうだなあ」、と思っているのでした。)
今年のはじめ、島根県浜田市という所の、ナマの演奏を聴いたことのない子供達に、おしゃべりコンサートで出会ってきました。4日間で7つの小学校を廻り、小規模校では全校生徒で20名!一番多いところでは4,5,6年生で200名という学校で、容赦なく、クラシックだけを弾いて来ました。
新しい経験をした彼らは、まるで全身耳の様。途中で歩き出すでもなく、しゃべり始めるでもなく、とにかく興味を体中で表してくれました!
キラキラ星変奏曲の変奏の数を数えてみて!と私が言うと、必死で指折り数えている姿や、トルコ行進曲で、私の勝手な強弱やテンポの揺れに一生懸命合わせて、大きく小さく手拍子してくれた事。またショパンの「革命」を弾き終え振り返ると、その曲の激しさに子供達の目玉はびっくり、口はあんぐり、そして「別れの曲」の前に、「いろんな別れがあるよね、6年生のみんなはもうじき卒業。この学校、今座っているイスや机、校庭ともお別れだね・・・。じゃあ聴いて下さい。」なんて言おうモノなら弾き終わった後、目に一杯の涙、涙・・・。ああ、忘れているなあ、こういう感覚!と、子供達から学ぶことの多さにびっくりしてしまいました。まだまだ日本も大丈夫!?またまた近々誕生日を迎える私、そんな子供達を見て自分の小さかった頃の事を思い出してみました。
今でもいい年をして、「ここは王子様が登場して、お姫様に好きですって言ってる様な感じ!」とか、「原っぱに寝ころんで、緑のにおいをいっぱい吸い込んでいるみたいな感じ」など、生徒達に言ってしまいますが、先日、シューベルトのある変奏曲を弾くにあたり、昔使っていた楽譜を広げてみたらそこにはルビー、サファイヤ、ダイヤモンド等々、宝石の名前が子供の私の字で書いてあったのです。うわっ!っと思い、これまた小さな頃にやったシューマンの楽譜を広げると、やっぱり書いてある!「ひとりぼっちになったおひめ様」だの、「王子様、わる者とたたかう」etc・・・。寝る前にたくさん絵本を読んで貰ったり、お話しして貰ったり(マッチ売りの少女の話の時には、必ず鼻をすすり、私も妹も寝るどころかまたママ泣いちゃった・・と思うのでした。)した事が、私のルーツなんだなあって思うのです。五感を駆使して、第六感の存在をも信じながら音楽するって事の楽しさを、もう一度あらためて感じています
さて、恐るべき忙しさだった昨年の11月。皆様、応援有り難うございました。怖いことに、来たる3月はもっと大変っ!ですが、どれも楽しみな催しです。
ところで・・・ウィーンゾリステン、93年初ツアーより長いこと皆様に可愛がっていただきましたが、今回をもって、メンバーに多少変動がありそうで、これから先のことはちょっと想像できない状況にあります。三輪 郁も今回が事実上、最後の共演となってしまうかもしれません。寂しい話ですが、皆様の今までのご声援に心から感謝申し上げ、3月20日の『ます』等、精一杯の演奏をさせて頂けるよう努力したいと思います。様々なご意見、いつでも受け付けております。郁の会にお便り下さいませ。
寒いと覚悟して戻ってきたウィーンは、東京よりずうっと暖かく、東京の乾燥の凄さもあらためて感じるこの頃です。東京では久々の大雪でスッテンコロリンの方々も多数いらしたようですが、郁の会の皆さんはいかがでしたか?
もう春はすぐそこ。我が家のぴーちゃんも春を待つこと久しく、相変わらず元気です。最後になりましたが、わざわざお年賀状のお返事を下さった皆様、有り難うございました。今年のコンサート会場では、どうぞいつでも楽屋に来て、お声をかけて下さいね。では、本当にすぐお逢いできるその日まで・・・。
2月 ある晴れた日のウィーンより
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| 郁の会会報No.6より |
郁からの手紙
朝、髪を洗ったらドライヤーをかける間もなく前髪が勝手にセットされていました。洗濯をすれば、あらら、っという間にパーリパリ。そうです。3月以来久しぶりにウィーンに帰ってまいりました。なんという恵まれた環境よ!と改めて幸せで涙が出そうです。こちらは天然冷房完備で、一歩木陰や石造りの家に入ればまあなんと涼しいことでしょう。日本のあのジットリ夏も蝉の声もいいけれど、湿気だけはたまりません!だって人間だけではなく、ピアノにも良くないですもの。
こちらに戻る際買ったアエラという雑誌の記事に、「太陽を見ると年甲斐もなく嬉しくなって日光浴に飛び出していってしまう。けれど、今の子供達はいつの間にか太陽を恐れなくてはならなくなったなんて、なんて不幸」というものがありました。確かに真っ黒に日焼けしてどっちが前だか判らない、という子。お目にかかれなくなりましたね。タクシーに乗れば、運転手さんが「日本中夏休みだってのに、日中道に人がちっとも出てないわけよ。だから今年の夏は『ちょっとそこまで、でもアツイから1メーターでも乗っちゃえ!』っておばさんで商売もってるね。」とおっしゃる。悪かったね!と思う私も貢献してるかも、と思ったのでした・・・。 地球温暖化が進み、日本とアメリカが云々と言われていますが、じゃあ、こんなに気候的に恵まれているヨーロッパのアナタ達、日本に住んでみなさい!と言いたくなる!しかし、もっともっとあっつい国の方々もいるわけで・・・。
さて、ウィーン。
お昼御飯時にもうそーめんとかひやむぎしか食べる気のしなかった生活から一変、そうめん?寒いよ〜、とすっかりパン食に戻りました。ラジオのスイッチを入れれば曲目も作曲者も演奏家も解らない様なものまで流しっ放しのクラシックチャンネルがあり、それを聴きながらソーセージに地鶏に野菜丸かじりにワイン?!ドップリとヨーロッパに浸る三輪家三姉妹。(ん?あ、1人はやはりこの夏日本脱出を決め込んだ母でした!)
ソーセージといえば牛肉の食べられなかった日々。春頃から特にクローズップされている狂牛病(脳がスカスカになってしまう病気)は、オーストリア人はおらが町の牛肉は絶対大丈夫と皆申しておりますが、もし今度演奏会で私が暗譜を忘れたりしたら、「とうとう始まったな」と思って下さい。太陽が怖くて、牛が怖くて生きてゆけるかい!です。どうせ1986年の留学した年にはチェルノブイリも被っているのです。もうこうこうなりゃトコトン、人生楽しく、おいしくです。
さて、かなり投げやりモードに入ってしまいましたが、投げやりといえば7月末8月始めは大変でした。ピアノを弾いていく、ということにまたもや疑問を感じ始め弾いていてもちっとも満足感を得られない。正確に言えば、満足していたと思ってたのにちっともそうじゃない。「何がやりたい」ではなく「何をやらなくては」に追われ過ぎていて、遂には新しい風を体内に取り込む余裕もまるでなくなってしまうという、複雑な状況でした。危うく殻に閉じこもるだけでなく、蓋まで閉めちゃうところでした。そこから私を再び呼び戻してくれたのが、ウィーン(まばゆいばかりに光の綺麗な今のこの季節)。
そして、もう一つは8月13日に出かけた演奏会。ウラディミール=フェドセイエフ指揮、モスクワチャイコフスキー交響楽団のそれで、題して「チャイコフスキーの晩年」。当夜演奏された曲目は大変に馴染み深いものばかりで、フェドセイエフ自らが選り抜いた曲によるバレエ「くるみ割り人形」組曲と、交響曲第6番「悲愴」でした。
『音楽』っていうのは、例えば『言葉』に置き換えれば句読点もハッキリ、どこまでが一つの文章というのが解るようにしゃべるべき、演奏されるべきだと思っていた私は、まるで突きをくらったようでした。なんて息の長い、先の想像できない世界だったことでしょう。日本の声明にも少し通ずる所があるような気がしますが、それよりはもっと感情的に、でもオーバーにやるヨーロッパ人のそれともまた違う、そんな世界に連れて行かれてしまったのです。訛ってるドイツ語で解るように、どこか軽くて柔軟で(悪く言えば優柔不断)という、私が体内に培ってきたウィーンのものとは対局のもの。寒さも悲愴感もただものではないのです。書いてしまえばありきたりでイヤだけれど、まるで心の臓、五臓六腑までえぐり取られる様な、声にならない声。
外に向かって発散される表面上の叫びや悲しみや憐れみではなく、チャイコフスキーその人がそうであったように、絶望感、閉ざされた心。それらの秘められた内向的なものの深さが、なんと「くるみ割り」からも聞こえたのです。
先日のサロンコンサートの際、ショパンの『別れの曲』を練習していたら、我が一族の長、名古屋の祖母がそれを聴いて「あんた、人を泣かそうと思って弾いてるでしょう。それでは人は泣かないよ。」と一言。それを思い出しました。
同じロシアものでも、例えば先日皆様にやはりサロンコンサートの折にお聴き頂いたスクリャービンはまだ昇華したり、浄化されていくものを感じるし、ラフマニノフは、ピアノという楽器で同じ様な絶望感等を整理したり語ったりする術を知っています。だから救われます。でもチャイコフスキーのこの想いは、ひょっとしたらまだ地上をさまよっているのかもしれません。チャイコフスキーの並べた音から、そんな切ない温度が感じられるのは、私だけではないでしょう。
数学に証明問題というのがありますが(ゆえにこの角とこの角は等しい、みたいなヤツ)、音楽もそれと同じですね。同じ方向から全ての音楽を計るということは、世界にこれだけの人種がいて言葉があって、気候の違いや風習の違いがあれば無理なこと。アプローチの仕方が1種類になっていた事をあらためて感じ、目の覚める思いでした。
舞台に立つということは、人様に自分の裸をさらけ出しているようなもの。これも祖母の言葉ですが、それを見苦しくなく、時にはヒラヒラの服を着てみたり、綺麗にお化粧してみたりすることも大切なことです。(実際問題、先日再放送までされた『クラシックはいかが?』では、これ誰?という程塗ったくられた私の顔のアップが出っ放しで恥ずかしかった!あ、意味が違うか)でも、音楽から薫る気品や誠実さや人間的な深さというのはお風呂に入ってなかろうが(!)何を着ていようが見透かされてしまうもので、それらは自分自身を磨く時間をちゃんと作って見つめ直さなければ生まれてこないものなのですね。また、『好き』であることの尊さ。興味を持つということの大切さ。これは何にでも共通していることですね。恐れずに新しい世界に足を踏み入れる、その勇気を持ってまた自分探しをしながら、今年の下半期、来年のスケジュールを楽しんでいきたいと思います。そして、出来るだけまたここウィーンに戻ってこようと思う今日この頃です。
2001年8月 ウィーンにて 郁
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| 郁の会会報No.7より |
郁さんからの手紙
2002年の幕開けから早ひと月半、ヨーロッパではいよいよユーロという通貨が我がモノ顔で出回り、とうとう各国の「らしさ」が損なわれてゆくのかしらと気を揉みつつ毎日を過ごしています。日本でも、言った言わないでよくあれだけ人が立ったり座ったり、挙げ句の果てには記憶が定かでないなど、若いのにアルツハイマーみたいな発言している人がいたりと歴史はくり返されている様ですね。真紀子さん、元気かなあ。
さて私はと言いますと、まあ実にのんびり年末年始を過ごしたのでありました。年末に家族で行った温泉旅行!父の運転する車に、旅館では禁止されている筈の持ち込みの品々(アルコール、お菓子等)と段ボール一杯に御年賀状書きグッズ(住所録だの色ペンだの昨年頂いた賀状のホルダーだの)を積み込み、書いちゃあドライブ、また書いちゃあお風呂にと、もうこれ以上の極楽はないであろうという日々をなんと4日も!過ごしたのです。
下田では、黒船来港の時、お国の要請でハリスに尽して最期には変人廃人扱いされ、自ら狂気の中で死を選んだお吉(おきち)の記念館に行きました。今でこそ留学や海外赴任が随分何でもない事の様になってきたけれど、当時は間違いなく奇異な目で見られていたでしょうし、偉い事でも何でもなく、とんでもない事だったのですね。ただ、その当時やってきたペるり(ペリー)御一行様の一番驚いたのは下田混浴だったり(その時にハリスがお吉を見初めたそうです)、人々の生活の様子だったりで、結局そういったものがガイジンのみた日本として記録や絵に残る訳で、なんか余計な「言葉」がない分正直な外交だし、間違いだらけだけど通じるのよね、という所はずっと原始的で「感動した!」のでした。
他にもネコの博物館やら、地ビール屋さんだのをドライブし?おいしい旅館の御馳走に舌鼓。もう笑顔以外の顔は存在しないという日々のまま、新しい年をむかえてしまいました。
でも、こんなに脳ミソがカニ味噌みたいになりっぱなしで1ヶ月近く、何にも追われずボケふにゃ状態で過ごしたら、先日米子での初仕事の時には困った事が2つも出てきてしまいました!! 何でもそうでしょうけれど、その一瞬の為にこれまで過ごしてきた日々は何だったの?!とショックを受ける事ってままありますよね。
1つは、コンサートの本番までに上がる筈のテンションがちいっとも上がらない!何だか当日も身体と時間が余りまくり、な、なんとこの私がコンサート直前に練習しすぎて、いざ!という頃には疲れ切ってしまったのです。
昨年一杯はあまりの忙しさに、家なのかホールなのか判らない位、またどこからピアノなのか自分の体なのか解らない位だったので緊張している暇がない、という感じでした。ところが今年最初のコンサートは休みボケを直し切らないうちに本番を迎えてしまったからさあ大変!キラキラ星が、なんだかガタガタ星、喜びの島は驚きと不思議の島に見えてきて、もう気が遠くなりそうでした。時間的には長くも何ともないのに、スタミナと集中力不足を認識し、反省反省。
2つめはそれとは反して、スタミナがついたであろうと思われる体型になってしまったが為に、初めて衣裳がきついゾ事件に見舞われました。ドレスといえば、華やかに全色持っている方もいれば、黒しか着ないという人もいるという様に人それぞれです。また、お気に入りのデザイナーのものしか着ないという人も。例えば某女性ピアニストは、お雛様のお内裏様みたいな上着にとてもゴージャスなスカート(コシノジュンコ作)。またある舞台ではヴェルサイユのバラよろしく将軍の様な凛々しいいでたちで各々素敵でした。
私の演奏会に数多くお出掛け下さっている皆様はもうお気付きかと思いますが、実は私、舞台人としてはドレスの数が少ない方でしょう。という事は初めて買ったドレスを含め、とにかく体型を十年近く維持し着続けて来たのです。が!この冬はちょっといつもと様子が違いました。あれ、いつも穿いてるGパン、ちょっときついかなあとそこまでは思っていたのですが、例の米子の日、いつものように開演前ぎりぎりに着替えたらもうびっくり!パッッッッッツンパツン!いつもはスカスカの胸元もバンバカバン、何より困ったのは息が入らない!管楽器吹きの娘としては息の出来ない事程調子の悪いコンサートはないのです。ちゃんと出掛ける前に一度ドレスはうちで着てみる事にしようと心に決めました。
これまでこだわりで着てきたドレス。実はこれらはあるデザイナーの形見です。最初のうちはそれこそカッコイイけど腕が上がらないとか、スカートが重すぎて弾いてるうちにお腹に食い込んできて貧血になったり、スパンコールのついているおしゃれな長袖で、両手をクロスさせた途端に糸が絡まってしまいそのまま手が戻らなくなって、仕方なく糸を力任せにブッ千切るとか、もうホントに様々な事件がありました。その愛着のあるドレス達にはみな名前がついています。『金魚』『鶴の恩返し』『ワダアキコ』『鯉』『セイコちゃん』…etc.曲や共演者の衣裳によって毎回選ばれる私のドレスたちはどうしてもシンプルなものが多く、私自身もそういったドレスの方が安心。そこの部分を理解し、私の幼い頃から応援して下さっている会員さん、永瀬富士子さんが、前述のデザイナー岸本さんの亡き後、トンと途絶えていた新調ドレスを作って下さるようになりました。沢山の新たに加わったお気に入りのドレスで安心してしまったのか、私の成長?もとどまる所を知らない様です。益々大きくなる三輪 郁。
どうか今年も宜しく!!!
2002年 2月 2日 東京にて
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| 郁の会会報bWより |
<雑誌のお告げ>
≪暖冬って言ってたじゃないか?! ≫と思いつつ、1月、負けじと寒いウィーンから日本に帰ってきました。ここのところやっと少し寒さもやわらいできましたが、まだまだ油断大敵。インフルエンザのゴホゴホや、はくしょん花粉症…… 会員の皆様はいかがお過ごしでしょうか?
年末年始のウィーンは、例年のそれと変わらぬたたずまいで私を迎えてくれました。朝に夕に凍てつく道路を、足の指に力を入れてひっくり返らない様に歩くのも久しぶり。何の運動もしていないのに、足が筋肉痛でパンパンになったりしましたが、なつかしの風景の中、楽しく過ごしてきました。寒さも手伝って外に出るのが本当に億劫になってしまい、ゆーっくりと自分のこと、ピアノのこと、ウィーンや東京のこと等々を、見つめ、考える時間もとることが出来ました。お友達に会ったり、買い物に行ったりも極力せずに道でバッタリ出会ってしまったら…とか、いいものを見つけたら…の程度に行動し、あとは妹の愛が弾いていたフォルクスオーパーのオペレッタを2つ、『皇女マリッツァ』と『こうもり』を見、ウィーン気質を満喫しました。それから、国立歌劇場のバレエ『くるみ割り人形』の改訂版!筋書きが全然ちがう! 曲はチャイコフスキーの有名なあれなのに、でも途中で曲が足りなくなったのか『ロメオとジュリエット』の序曲が少し使われていたりと工夫が凝らされ、カラフルな衣装で、クリスマスらしい幸せな気分に浸りました。
クリスマスの頃に必ず国立歌劇場の演目として登場するこの『くるみ割り』、そしてオペラ『ボエーム』。年末年始は『こうもり』や『メリーウィドウ』など日本の『第九』に相当するものがウィーンにはあふれています。これらは比較的容易に楽しめますが、ウィーン・フィルによるニューイヤーコンサートは例外で、折角ウィーンにいてもなかなかチケットには手が届きません。だって2000年からゼロがひとつと多く並ぶ様になってしまったのですもの。(ウィーン=東京、飛行機で往復できちゃいますよ!)
さて、<ニューイヤー>、<ヨハン・シュトラウス>といえば、去る1月29日名古屋のしらかわホールにて、私の彦星様、春風亭小朝師匠がナビゲーターで、ヨハン・シュトラウスUの作品と生涯を楽しんでいただくコンサートを行いました。「人間『この人に会いたい』(週刊文春のコラムみたい)と思い続けていると、それが本当になる」という友人の言葉を信じていたら、小朝師匠にも、キムタクにも本当に会えちゃった。人間、希望を持って生きなければ!! (あ、キムタクは単にライヴで見ただけなんですけど…)。
さて当夜。小朝師匠の舌好調に支えられ、向けられたマイクに向かって寒いダジャレをとばしてしまったりしましたが、アンサンブルKOASAの演奏も思いの外うまく乗せられて、なかなか楽しい一夜となりました。ただ“ワルツの感覚は、3拍子の踊りのない私達日本人の体にはしみ込みにく”というのは本当で、舞踏会で着飾ったご婦人のドレスの裾のひる返る時間や、まわっていくうちについてくる勢いを表現した、ウィーン独特のブンチャッチャは、やはり踊ってみて初めて感じられるものなのでしょう。でもポルカ(早い2拍子の踊り)や行進曲は、わかりやすく楽しく演奏できたように思います。ところで彦星の師匠とは、なんと、今年のうちにもう一度お会いする機会に恵まれました。Vol.2として今度はメンデルスゾーンの生涯と作品を取り上げるコンサートで出演が決まったのです。(休憩時間にすでにチケットが100枚も売れたのですよ!) 名古屋の皆様は8月3日(日)に是非マーキングを! そして、東京、大阪や九州の皆様も、必ず全国的に広がる予定の、この小朝シリーズをお楽しみに!
話変わって昨年末、ウィーンでのある寒い日に、妹の愛のために持ってきた雑誌をパラパラとめくっていたら、『「メンタル厄年」私はこうして乗り切った』というような記事を見つけました。過日迎えた誕生日で、その年齢を丁度迎えた私は、ギンギラギンに眼を見開き、それを読んでいましたら、何だかフ−ッと気が楽になってきました。「どれもこれも取り入れて、やってみたいこと」だらけだった私。 ピアノを弾くことが苦しくなってしまい、ちっとも楽しくなかったり、複雑な思いがつのってしまう日々もあったりと、頑張りすぎでゆっくり自分のことを考える余裕を失ってしまいがちだったところ、突然目からウロコでした。「現役」として、自分の職業にたずさわっていける年齢の、丁度半分位の「今」。折り返し地点として、これからは自分の出来ること、やりたいを考えていこう! だって実際、いつ出来なくなるかわからないんだから、やれることからやっていこう! と思ったのです。それはまた、一年半にわたって「ピアノの本」という小冊子に続いた拙文の連載を読み返して感じた事でもあるのです。(「郁の会」ホームページを見てください!)
それからもうひとつ。鏡を見ていて、笑顔がヘン!って思ったこと。鼻から下しか笑っていない! 心から嬉しい、楽しいと思うこと以外でも笑い顔を作ってしまう自分は不健康だなぁと感じ、遅ればせながら、自分で自分の笑顔が好きになる様な日々を過ごそう!と決めました。
<雑誌のお告げ>で、生まれ変わった様に始まった2003年。ピアノもおしゃれもお化粧も、私自身のためにしてみようと思っています。そんな中、9月のリサイタルのプログラムを決めるにあたり、私らしさが出る作品、作曲家をもっとしぼり込んで、何年か継続して弾いていったらどうだろう。軸を決めて、そこから発展できる様に……ということで出てきた私の原点の作曲家は…… ≪モーツァルト≫です。 異論のある方も多々いらっしゃるかと思いますが、違うと思う方にはごめんなさい。とりあえず私は、モーツァルトからスタートです。あ、でも、サロンコンサートではいろいろやりますし、パートナーのあるコンサートはまた別ですよ。…という訳で、「三輪郁聴く人この指とまれ」と出した私のひとさし指に、みなさま、今年もとまって下さいますか?
2003年2月 東京にて
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| 郁の会会報10より |
ぼよんと頭が重い。 夏の喧騒が過ぎ去った後は、いつもこうです。特に今年は9月9日なんて、タイムリーに秋を迎える頃にリサイタルをセッティングしてしまい、終わった途端気が抜けて現在に至っております。皆様いかがお過ごしでしょうか?
9月9日のリサイタルには、沢山の皆様にお越し頂き本当に幸せでした。ありがとうございました。幅の広すぎるモーツァルトの名曲の歴史を、ほんの一部分にこだわって『ウィーンのモーツァルト4254日の奇蹟』としてスタートしたこのリサイタルシリーズ。果たしてモーツァルトファンの方々も、はたまたモーツァルトの苦手な方々もお楽しみ頂けたかどうか…。私自身は本当に不思議なもので、モーツァルトにはいつも元気と幸せをもらいます。他の作曲家に相対している時には感じられないもの、いくつになっても、どんな時にも、これまで感じられたこの不思議な幸せ感を繰り返し味わっていきたいものです。全5回予定のこのシリーズ、大よその構想は頭の中にあるのですが、皆様からのご意見、アイディアもお聞かせ頂ければと思っています。演奏会の感想、皆様の近況等併せてホームページのメッセージ欄への書き込みどしどしお待ちしています!
ちょっと前まで真っ白だった私の手帳も、秋以降また(お陰様で!)予定が入り始めました。中には久々に東京でのオーケストラとの共演もあり、私を世に送り出してくれたメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を弾く機会にも恵まれました。メンデルスゾーンといえば日本ではヴァイオリン協奏曲の方がずっと人気がありますが、ヨーロッパではこのピアノ協奏曲を耳にする機会も多いのです。
どこまでいっても品の良さを失わない彼特有の美しい旋律に、ピアノならではの重厚な響きと軽やかさが加わるこの曲は、私のオーケストラとの協演の中でも一番多く演奏してきたものであり、特別な思い入れがあります。指揮は最も信頼する音楽仲間のひとりである本名徹次さん、センスの光るお話が定評のご存知(!)春風亭小朝師匠のナヴィゲーションで、ヴァイオリン協奏曲と併せてお楽しみ頂ければと思っています。
ところで最近、オーケストラの一員として鍵盤楽器を弾く、業界用語でいうところの<オケ中の仕事>も楽しくやらせて頂いています。例えば先日、読売日本交響楽団で弾いたストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』。小さい頃、母に連れられて何度も行ったNHK交響楽団の演奏会の舞台で、真っ赤になって頑張ってトロンボーンを吹く父より、オーケストラの左のハジの方で一員として格好良くピアノを弾かれる本庄玲子さんに目を奪われ、終演後「私あの人みたいになる!」と言っていたのを思い出します。体も小さいし、パワーもないし、手も小さいしで、きっと縁のないと思っていた、その時のあの曲『ペトルーシュカ』を弾かせて頂けた去る9月4日は、ある意味、私にとっては記念すべき日でした。 このコンサートは来る12月10日(水)読売系でテレビ放映されます。またまた夜中に登場ですが、難曲に臨む凄まじい形相を見て頂くと、また違った三輪郁と出会うかも知れません…、おお怖い怖い。
その読響さんから、またストラヴィンスキーでオケ中の仕事を頂きました。これは滅多に演奏される事のないオペラ『ナイチンゲール』のコンサートヴァージョンです。益々すごい形相になってしまうかもしれません…ぅぅ…本当に怖い!
話変わって、こうして会報でこの様に稚拙な文章に毎度お付き合い頂いておりますが、この程『ピアノの本』という小冊子上で10回に渡り連載させていただいたエッセイ《やっぱりピアノが好き!》が、な・なんと一冊にまとまり小さな本になることになりました。音楽家の両親のもとで育ったのひとりの少女が、どうして「ピアノ弾き」になったのかをひたすら綴ったものに、今回多少加筆し、沢山の方々の協力を得て来年始めには刊行の予定です。やっぱり…ピアノを弾くより恥ずかしい!!…のですが、出来上がったあかつきには又皆様にご案内させていただきますね。
松茸、秋刀魚が美味しい季節です。
どうぞお元気でお過ごしくださいませ。
そしてコンサート会場で
またお目にかかりましょう!! 2003年9月 東京にて
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